李楨(イ・ジョン)は、別名(字:あざな)を公幹(コンガン)、号(ごう:芸術家としての名)を懶翁(ナノン)・懶窩(ナワ)といい、一族のルーツ(本貫)は全州(チョンジュ)である。祖父の李上佐(イ・サンザ)をはじめ、父の李崇孝(イ・スンヒョ)、叔父の李興孝(イ・フンヒョ)に至るまで、代々宮廷画員(お抱え絵師)を輩出した名門の出身であり、朝鮮時代初期から脈々と受け継がれた伝統を完全に継承した。
プロの画家であった李楨は、高名な文人である崔笠(チェ・リプ)のもとで詩を学び、許筠(ホ・ギュン)ら当代の文人たちとも深く交流した。許筠は李楨の絵画をこう評している。「山水画の技法は安堅(アン・ギョン)に由来するが、さらに円熟味を増している。人物画は祖父から伝授されたものだが、その生気はいっそう満ちあふれている。」 実際に李楨は、朝鮮時代初期の主流であった安堅派の画風を受け継ぐ一方で、中国由来の浙派(せっぱ)画風や南宗(なんしゅう)画風をも幅広く取り入れ、朝鮮中期を代表する画家として確固たる地位を築いた。
本作≪山水図≫六幅(ろっぷく:6枚の掛軸からなる絵画)は、大自然を愛でる文人たちのさまざまな姿を描いた作品である。画面の左側に重心を置く3幅と、右側に重心を置く3幅が交互に並ぶ「偏頗(へんぱ:片寄った)構図」の特徴が明確に表れている。
各画面に描かれた季節の移ろいも、大きな見どころの一つである。第1・2幅は春、第3・4幅は夏の景色が描かれ、最後の2幅はそれぞれ秋と冬の情緒が豊かに表現されている。このような四季の構成から、本作はもともと≪四時八景図≫や≪瀟湘(しょうしょう)八景図≫のように8幅で一組の作品であったものが、のちに2幅が失われた可能性が指摘されている。
この推測は、第4幅によってより裏付けられる。この画面は、国立中央博物館が所蔵する李澄(イ・ジン)筆の≪瀟湘夜雨図(しょうしょうやうず)≫と、霧に包まれた山の表現や画面の構成、景物の配置などが酷似しているためである。特にこの第4幅は、手前の丘を広く描き、その上で悠々と横たわって休む1頭の牛が描かれているが、6幅の中で唯一文人が登場しないという点でも注目したいポイントとなっている。
6幅全体を通じて、2幅ごとに一度、静かな水面に浮かぶ一艘の舟と、その中で寄りかかって座る文人の姿がほぼ同じ形で繰り返されることも、本作の興味深い特徴の一つである。
いずれの画面も水面と霧によって広大な空間の広がりを生み出しており、構図や木の枝の表現、山肌に多用された「短線点皴(たんせんてんしゅん:短い線を重ねて山の質感を表現する技法)」には、安堅派画風の影響が鮮明に見てとれる。同時に、第5幅では広大な自然の中に小さな文人を配した「小景山水人物画」の風情が感じられ、一族に伝わる画風をベースにしながらも、李慶胤(イ・ギョンユン)ら当時の人気画家たちが牽引した朝鮮中期ならではの新しいトレンドまでも見事に自分のものにしていたことを物語っている。