趙廷奎(조정규)の字は聖瑞(성서)、号は琳田(임전)、本貫は咸安(함안)。図画署の画員として儉節制使を務め、趙錫晉(조석진、1853–1920)の祖父にあたる。趙廷奎は金弘道の影響を反映した山水画および人物画を残したほか、魚蟹図をもって名を馳せたという記録にもあるとおり、魚蟹図が相当数伝わっている。
「天際暮山黄大癡 雲邊秋樹李營邱」と記された画題から、趙廷奎が本作において黄公望(황공망)と李成(이성)の画風を意識的に試みたことが明らかである。実際、披麻皴と米点を用いて山容を描写した点は黄公望の画風と多くを共有しており、荒々しい樹枝法は李成との関連を示唆している。しかしながら本作は両者の筆意を倣うにとどまらず、筆致と滲み染めには趙廷奎の個性が明確に滲み出ている。
近景には小さな三角形の丘が二つ連なり、河川を挟んだ遠景にも同様の形をした低い野山が重畳して配されている。画面右側に半ば切り取られた山が中景をつなぐ役割を果たしている。類似した山容を反復的に配置することで画面に奥行きを生み出すこの構図は、青みを帯びた独特の墨色とあいまって、きわめて近代的な様相を呈している。淡い線染めのシルエットで山の形を整え、その上に次第に濃い墨で披麻皴や小さな米点を段階的に重ねることで滲みの効果を生み出している。こうした墨の微妙な調整は趙廷奎の真骨頂であり、近代への移行期における過渡的な特質として評価しうる。白文方印「延奎(연규)」と朱文方印「琳田(임전)」が捺されている。